高遠城下町の西のはずれ
十八世紀中頃の遺構を
垣間見ることのできる
旧中村家住宅たまきや
座敷蔵の下には沢が流れ
主屋に引き込まれた
水の音も聴こえます
書家としても名を馳せた
画家・中村不折が過ごした空間で
歴史情緒に想いを馳せる
憩いのひとときを
古くは戦国時代、鉾持神社や乾福寺の門前町として賑わう高遠の地を治めていたのは、諏訪と縁が深い高遠氏でした。その後、高遠氏からこの地を攻め取った武田信玄は、弟や子どもを高遠城主にするなど、ここを南信濃の支配拠点として重要視しました。高遠城は武田信玄の家臣・山本勘助が築城に関わったとも伝えられますが、信玄の没後、天正10年(1582)、勢力拡大を狙った織田信長の命を受けた織田信忠により、高遠城は落城。しかし、まもなく織田氏が滅亡すると、武田家旧臣の保科氏が城主となりました。
江戸時代には、保科氏・鳥居氏・内藤氏と三家の大名が入れ替わりで高遠領を治め、ここは高遠藩3万3千石の城下町として、上伊那の政治、文化、経済の中心地となりました。
当初、城下町は城の東側にありましたが、江戸時代初期に城の西側の門前町を取り込むような形で、現在の町割りに整備されたとみられています。これにより、城の東側は武家屋敷が立ち並ぶ武士の町、西側が町人が住まう城下町となりました。
その後、明治という新たな時代を迎え、武士の世が終わりを告げると、城主が去ったお城の建物は取り壊され、地域社会も変貌していきます。
現在、コヒガンザクラで有名な高遠城址公園は、明治9年頃、荒れ果てた城跡を見て憂いた、元藩士たちが桜を植えたことに端を発します。
おそば、季節の野菜、ジビエなど地域の食材を中心に扱ったお食事をご用意しております。
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